中世ヨーロッパとは
ご存じの通り、中世ヨーロッパと言っても地域・年代ともに多岐に渡ります。
年代的には5世紀から15世紀まで、約1000年にわたる期間が一般に中世と呼ばれているのです。
そこで一般に区分される中世前期・中世盛期・中世後期の3つの年代に別けて、今回は特に中世前期の西ヨーロッパに焦点をあててまとめていきたいと思います。
中世前期とは
一般に5世紀から10世紀までを中世前期と呼びます。
これは出来ごとで言えば古代に栄えたローマ帝国が古代末期に東西に分裂し、その西側、西ローマ帝国の滅亡(480年)から始まり、時代的に考えれば神聖ローマ帝国ができるまでの事です。
(神聖ローマ帝国の始まりは、初代皇帝はカール大帝の戴冠年である800年とオットー1世の戴冠年である962年とする見方があります)
ただし、この中世の区分そのものが『このくらいから時代の雰囲気が変わった』と言ったぐらいあやふやな物なので明確に出来事で分けることは難しいと思います。
なのでざっくりと言えば『古代ローマが瓦解した頃から文明・文化が安定し始めるまでの混沌とした時代』というのが中世前期です。
以下の項では、時代順に大きな出来事と時代の雰囲気をお伝えしていきますので、中世前期をモチーフに執筆される際は参考にしてみてください。
ローマ帝国の崩壊とゲルマン民族大移動
中世という時代は今まで古代ローマ帝国が分裂・崩壊し、文明や文化のレベルで衰退したところから始まります。
古代西ローマ帝国の滅亡は上記の通り480年と言われていますが、これ以前からローマ帝国は皇帝が打ち倒されでは別な皇帝が立ちを繰り返していて荒廃していました。
また、同時期にゲルマン民族のローマ帝国内への侵入も激しくなり、各地で戦争も多発していました。
ただし、ゲルマン民族大移動は元々ゲルマン民族が住んでいた地域にフン族が侵略し、そのフン族から逃げてローマ帝国内へ侵入したという理由も存在するため、侵入したゲルマン民族には女性や子供も多く、現代で言えば難民のようなもので一概に侵略のための侵入とは言えません。
実際にローマ帝国内に入植し傭兵として国境の防衛についていたゲルマン民族の一派もいたようです。
ただし、こういったゲルマン民族の傭兵への報酬はローマ帝国の国費から支出されローマ帝国の国庫に負担をかけていましたので、結果としてはローマ帝国の弱体化につながっていたと言えます。
この時期、地球全体の寒冷期も重なり農作物の収穫量の減少とそれに伴う人口減少もあったため、ゲルマン人傭兵への報酬や度重なる戦争はローマ帝国の財政へ大きな負担となっていました。
この時期の中世ヨーロッパをモデルにお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、
・寒冷化の影響で農作物が不作
・異民族が帝国内へ侵入を繰り返している
・異民族侵入防止と権力闘争によって戦争が繰り返されている
・異民族は略奪目的ではなく避難目的であり難民化した人たちも多かった
といった世界観を構築するといいかもしれません。
ただ、この時代はあくまで古代と中世の境目にあたるので、詳細に歴史上の出来事をオマージュして書いてしまうと中世ヨーロッパ風とは少し違ったテイストになるかもしれません。
ゲルマン諸国
ゲルマン民族の大移動とローマ帝国の崩壊と同時期にゲルマン諸氏族の国がヨーロッパ各所に乱立しました。
ローマ帝国の混乱の隙に侵略した各ゲルマン氏族が旧ローマ帝国の領地に建国したという形になります。
この頃の東ローマ帝国には既にゲルマン諸国に対処する力はなく、古代に反映したローマ政治・文化・経済はゲルマン諸国には浸透しませんでしたが、一方でキリスト教は混乱期にも布教活動を行うことで一部のゲルマン諸国にも浸透しました。
フランク王クローヴィス1世のカトリック改宗などが有名です。
ここから西ヨーロッパ世界でだんだんとカトリックが力を強めていくことになります。
他にも多くの国々が建国した時期であり、詳しく掘り下げればたくさんの出来事がありますがここでは長くなるのであえて触れません。
そのため、ここでも雰囲気のみお伝えしたいと思います。
この時期の中世ヨーロッパをモデルにお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、
・古代に1,000年以上の時間をかけて熟成して経済・文化・経済が消失した
・一方でゲルマン民族国家のキリスト教への改宗が進み、キリスト教が力を強めた
・また、ゲルマン側から見れば戦争と新天地での王国の建国の時代であった
といった世界観を構築するといいかもしれません。
下記地図はゲルマン諸国の各場所と国名です。
イスラーム諸国
610年頃、預言者ムハンマドが神託を受けできたのがイスラーム教です。
イスラーム教はペルシャ湾周辺で勢力を拡大し、預言者ムハンマドの死後その後継者(カリフ)はウマイヤ朝を建国しました。
ウマイヤ朝は西ヨーロッパへアフリカ側を侵略しながら進み、当時、現在のスペインにあった西ゴート王国へ侵攻、これを滅ぼしました。
その後フランク王国へ侵攻しましたが732年にトゥール・ポワティエ間の戦いで敗れ、ここでイスラーム教の西ヨーロッパへの侵攻は終息しました。
西ゴート王国、フランク王国はこの時すでにキリスト教国だったため、西ヨーロッパにおけるキリスト教とイスラーム教との初めての邂逅になります。
このイスラーム教の侵攻はキリスト教世界に小さくない衝撃を与えました。
これが中世盛期の十字軍遠征へと繋がっていきます。
イスラーム教も前項までと同じく、詳しく掘り下げれば果てがない項目ですが、ここでは中世前期で西ヨーロッパ世界に関係性の強い部分だけ説明させていただきました。
ローマ文化復活の兆候
イスラーム教との邂逅は、西ヨーロッパ諸国にとって良い影響ももたらしました。
当時のイスラーム教圏ではローマ帝国崩壊の時、ゲルマン民族の侵入や大きな戦争が発生せず、ローマ帝国の文化がそのまま残り発展していたのです。
そのため、イスラーム教からローマ帝国の文化をイスラーム教から間接的に吸収することができました。
特に農業では貴族が経営する荘園で三圃制による農園が始まり、これが1年あたりの農作物の収穫量を増やすことにつながりました。。
これらの農業制度は、ローマ帝国期にみられる制度化された農業形態に近いものであり、ローマ文化の復活の兆候の最たる例といえるでしょう。
そのため、そのため前項のイスラーム諸国からここまでに焦点を当ててお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、
・イスラーム教側から見れば遅れた宗教を崇拝しているキリスト教勢力圏への布教と領土拡張のための侵攻
・戦争をしていない一般市民レベルとしての文化交流
といった世界観を構築するといいかもしれません。
ヴァイキングの時代
元々北ヨーロッパに住んでいたゲルマン系民族であったヴァイキングは、他民族に遅れて西ヨーロッパ世界へ侵入してきた。
ヴァイキングのヨーロッパ世界への侵入には、キリスト教との対立や富を求めた対立など諸説あるが、はっきりとした理由は不明なようだ。
ヴァイキングは優れた航海技術を持ち、海や河川を使い瞬く間にヨーロッパ全土へ侵入した。
ヴァイキングは交易と略奪を主に行い、地域によってはそのまま土着したようだ。
※余談ですが、幸村誠氏の漫画『ヴィンランド・サガ』がヴァイキング世界を舞台にしたお話ですので、雰囲気を捕まえたいのなら一度読んでみるといいかもしれません。
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神聖ローマ帝国の始まり
神聖ローマ帝国の始まりといっても、ここではあまり多く書くことはありません。
簡単に話してしまえば、800年に当時のドイツ周辺地域を治めていたカール大帝が、ローマ帝国崩壊後空位のままだったローマ皇帝の座を継ぎ、それを後の時代、オットー1世がローマ教皇が皇帝よりも上の立場に位置していると定めることで、西ヨーロッパ圏の最大の権力者として教皇が位置することを明確にしたのです。
これらは政治的な話であり、今のように民主制ではなかった当時の西ヨーロッパ世界では実際に住んでいた当時の民間人の間ではそこまで大きな影響がなかったと思います。
なので、政治的な動きをモデルにお話しを書きたいのであれば、これらの事象を掘り下げて調べてみても良いかもしれないが、街の情景や雰囲気は神聖ローマ以前と大きくは変わらないはずです。
おわりに
今回はかなり長くなってしまいました。
ただ、異世界を舞台にした小説を書くにあたって、その世界にも歴史があり、登場人物たちがどのような情勢の中で生きているのかを書くことは大切なことだと思います。
例えば、
もしあなたが732年トゥール・ポワティエ間の戦い真っ最中の西ヨーロッパに転生したら、周囲の人々はどのような日常生活を送っていて、あなたはどのように感じるでしょうか?
きっと異世界でも、主人公が転移転生するその時の出来事や雰囲気があるはずです。
異世界に人がいる限り、その人たちは過去を元に今の生活を送っています。
どうか簡単にでいいので、街や村、はたまた国がなぜそこにあり、住民は何を思って生きているのか考えてみていただけると幸いです。
※私自身が読み返してみてこの記事自体は本当にただただ現実の歴史を書いただけで、具体的に小説の参考になるか微妙だと感じました。なので、盛期や末期に関しては優先度は低くし、時間のある時にまとめられればいいかと考えていますのであしからずお願いします。