なろうと中世ヨーロッパ

なろうと中世ヨーロッパ

中世ヨーロッパ的世界を舞台とした小説作成のための参考資料と小説レビューを記事にしています!

紙と中世ヨーロッパ

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紙と本の違和感

 

なろうにおいて、私が違和感を覚えるのが多いのが紙・本についてです

 

例えば、魔法を使うために魔導書が欲しい場合に、「とても高価である」という設定のみが存在し、主人公たちにお金があれば買えてしまう場合が多い

 

ですがこれは大きな間違いです

 

紙や本が高価なのには理由があり、もしも本当に中世ヨーロッパ世界で任意の本を買い求めようと思えばかなりの時間と労力がかかったことでしょう

 

そこで今回は、中世ヨーロッパにおける紙や本について、本来はどのような状況だったのかまとめていきたいと思います

 

 

 

紙が高価な理由

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中世ヨーロッパには、日本語で『紙』と呼称できるものが少なくとも3種類存在していました。

 

それはパピルス羊皮紙中国紙の3つです

 

それぞれに高価な理由がありますので、1つ1つ解説していきたいと思います

 

 

まずパピルスが高価な理由ですが、これは生産地が原因です

そもそもパピルスとは特定の水草の茎から皮を剥いで引き伸ばしながら乾燥させて作られます。この原材料となる水草が古代からエジプトでのみ生産されており、中世ヨーロッパ世界では輸入するのに多くの国を経由しなければならないため多くのコストがかかりました

古代ローマの時代であれば、エジプトもローマ帝国の一部であり、また中心都市も現在のイタリアであるため比較的容易に調達できたパピルスも中世ヨーロッパ世界ではローマ帝国の崩壊とともに入手難易度が高くなっていたのです

 

 

次に羊皮紙です

羊皮紙が高価な理由は原材料が高価な他にその加工にも手間がかかる点にあります

羊皮紙という名前ではありますが、その原材料は羊の他に牛やヤギなど家畜全般になります。一般に家畜の皮を薄くなめしたもので、普通のサイズの羊からおおよそ6枚程度とることができたそうです

家畜一頭あたりの金額は地域や時代によって様々であり、現代価格として換算するのは難しいのですが、家畜をつぶさないと取ることができず、また、他の製品へと加工が可能な皮をあえて紙へ加工するのですから、値段はどうしても高くなってしまいます

また、羊皮紙は他の皮製品と同じように皮をなめして作る製品なので、加工にも手間がかかりました

1.10日程度消石灰の溶液に浸す

2.毛をナイフでこそぎ落とし、さらに2日程度流水でゆすぐ

3.木枠に張った状態で天日干しにする

4.穴や汚れがないかを確認し紙のサイズに切り分ける

簡易的に工程を説明するだけでもこれだけの手間がかかります

この原材料の値段と手間が羊皮紙が高価な要因だったのです

  

 

最後に中国紙です

中国紙とは中国発祥の製法で作られた植物由来の紙のことで、現在一般に使用されている紙の原型となるもののことです

ここでは中国紙と呼ばせていただいていますが、一般にはただ「紙」と呼ぶのが正しい呼称になる物です。中国紙はあまり中世ヨーロッパ世界のイメージが無いかと思いますが、12世紀ごろにはヨーロッパ世界へその製法が伝わっていました

 

中国紙が中世ヨーロッパ世界であまり流通しなかったのは、生産体制が整っていなかった事と紙の需要に起因しています

 ヨーロッパ世界に伝わったのが12世紀ごろなので、生産・流通を大々的に行うにはまだ生産するのに必要な工場が少なく、生産体制の整っていた羊皮紙に取って代わる程ではありませんでした

また、一般での需要も、今のような印刷技術がなく、一つ一つ手書きで書籍や文書が作られていたためそれほど高くなかったのです。そのため活版印刷が発明された後には羊皮紙に代わり普及していきました

 

 

上記で説明したように、紙にはそれぞれ高価な理由があります

なろうの中世ヨーロッパ風の世界観の物語にも羊皮紙が登場する作品は多いかと思いますが、生産に手間がかかり高価な物なので、羊皮紙は普通、店先で配られるチラシやギルドの張り紙など、単なる情報伝達には使われません。会議の議事録や日記など記録として残すために使用されるのが一般的かと思います

そのため、ギルドの掲示板などの情報伝達手段は石板や木板などで描写するとよりリアリティが増すかもしれません

 

 

本が高価な理由

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本が高価な理由は材料である羊皮紙の値段と作成の手間、そして入手難易度にあります

 

羊皮紙が高価な理由については上項で述べたので多くは触れませんが、今のように数百ページになる本であれば羊皮紙も数百枚必要になるので材料費だけでも莫大な金額がかかるのがわかります

 

さらに材料費だけでなく、中世ヨーロッパには現在のような印刷技術が存在しないため、1冊1冊手書きで書かれており1冊の本を仕上げるのに莫大な時間と手間がかかりました

例えば、1文字1秒で書けるとしても、10万文字の書物で10万秒=約28時間かかることになります。現在の感覚で自給1000円で人を雇って書かせるとしても、1冊書き上げるのに2万8千円の人件費がかかることになります。ここに飾り絵や装丁の値段も上乗せされるわけですから、現在の感覚とは全く違う高級品だったのです

 

また、その入手難易度が本の値段を跳ね上げていました

中世ヨーロッパの書籍のほとんどは写本と呼ばれる原本を書き写したものでした。そのため原本がないといくらお金を積もうが手に入らなかったのです

 

例えば、

あなたが中世のパリに住む大富豪だとします

あなたはどうしても手に入れたい本がありますが、その原本はナポリの教会にあります

そうするとあなたは、いつパリに入ってくるかわからないその本の写本を5年でも10年でも、輸入されるまでひたすらに待ち続けるか、ナポリまで使いを出して写本の作製依頼もしくは買い付けを行うしかありません

 

 

このように任意の本を1冊購入するだけでもこれだけの手間がかかってしまいます。現在のように、街の書店に行って買ってくるわけにはいかないのです。そのため、書籍の保管し一般人に公開しているような教会などでも、本の装丁に穴を開けてそこに鎖を通して盗難の防止をしていました

 

 

なろう作品でも魔導書など、本を購入するシーンなどがある作品がありますが、もし中世ヨーロッパの感覚で本を購入するのであれば、主人公たちは任意の魔導書を購入するのに数年から数十年単位での買い付け時間を必要とするはずです

本は高価だった、というぼんやりとした情報だけでなく、なぜ本が高価だったのかを考えながら書けば物語の世界観もより深みが増すのではないかと思います

 

 

 

おわりに

今回は紙や本について書かせていただきました。細かい、そんなところ物語の本筋とは関係ない、と思われるかもしれませんが、こういった細かい描写や設定が物語全体の世界観の深みへと繋がると思います

それに、お金が手に入った主人公が本屋に行って高価な魔導書を買う、では味気ないではありませんか

本当に中世ヨーロッパ世界での話であれば、本の買い付けだけでも十分な物語になり得るほどに時間と手間とコストがかかりました

せっかく中世ヨーロッパ風の世界なのですから、主人公が欲しい本を購入するために旅をする、そんな物語があってもいいと私は思います

中世ヨーロッパとは

ご存じの通り、中世ヨーロッパと言っても地域・年代ともに多岐に渡ります。
年代的には5世紀から15世紀まで、約1000年にわたる期間が一般に中世と呼ばれているのです。
そこで一般に区分される中世前期・中世盛期・中世後期の3つの年代に別けて、今回は特に中世前期の西ヨーロッパに焦点をあててまとめていきたいと思います。

 

 

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中世前期とは


一般に5世紀から10世紀までを中世前期と呼びます。
これは出来ごとで言えば古代に栄えたローマ帝国が古代末期に東西に分裂し、その西側、西ローマ帝国の滅亡(480年)から始まり、時代的に考えれば神聖ローマ帝国ができるまでの事です。
神聖ローマ帝国の始まりは、初代皇帝はカール大帝の戴冠年である800年とオットー1世の戴冠年である962年とする見方があります)


ただし、この中世の区分そのものが『このくらいから時代の雰囲気が変わった』と言ったぐらいあやふやな物なので明確に出来事で分けることは難しいと思います。


なのでざっくりと言えば『古代ローマが瓦解した頃から文明・文化が安定し始めるまでの混沌とした時代』というのが中世前期です。

以下の項では、時代順に大きな出来事と時代の雰囲気をお伝えしていきますので、中世前期をモチーフに執筆される際は参考にしてみてください。

 

 

ローマ帝国の崩壊とゲルマン民族大移動

中世という時代は今まで古代ローマ帝国が分裂・崩壊し、文明や文化のレベルで衰退したところから始まります。
古代西ローマ帝国の滅亡は上記の通り480年と言われていますが、これ以前からローマ帝国は皇帝が打ち倒されでは別な皇帝が立ちを繰り返していて荒廃していました。

 

また、同時期にゲルマン民族ローマ帝国内への侵入も激しくなり、各地で戦争も多発していました。

ただし、ゲルマン民族大移動は元々ゲルマン民族が住んでいた地域にフン族が侵略し、そのフン族から逃げてローマ帝国内へ侵入したという理由も存在するため、侵入したゲルマン民族には女性や子供も多く、現代で言えば難民のようなもので一概に侵略のための侵入とは言えません。

実際にローマ帝国内に入植し傭兵として国境の防衛についていたゲルマン民族の一派もいたようです。

ただし、こういったゲルマン民族の傭兵への報酬はローマ帝国の国費から支出されローマ帝国の国庫に負担をかけていましたので、結果としてはローマ帝国の弱体化につながっていたと言えます。

 

この時期、地球全体の寒冷期も重なり農作物の収穫量の減少とそれに伴う人口減少もあったため、ゲルマン人傭兵への報酬や度重なる戦争はローマ帝国の財政へ大きな負担となっていました。

 

この時期の中世ヨーロッパをモデルにお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、

・寒冷化の影響で農作物が不作

・異民族が帝国内へ侵入を繰り返している

・異民族侵入防止と権力闘争によって戦争が繰り返されている

・異民族は略奪目的ではなく避難目的であり難民化した人たちも多かった

といった世界観を構築するといいかもしれません。

 

ただ、この時代はあくまで古代と中世の境目にあたるので、詳細に歴史上の出来事をオマージュして書いてしまうと中世ヨーロッパ風とは少し違ったテイストになるかもしれません。

 

 

ゲルマン諸国

ゲルマン民族の大移動とローマ帝国の崩壊と同時期にゲルマン諸氏族の国がヨーロッパ各所に乱立しました。

ローマ帝国の混乱の隙に侵略した各ゲルマン氏族が旧ローマ帝国の領地に建国したという形になります。

この頃の東ローマ帝国には既にゲルマン諸国に対処する力はなく、古代に反映したローマ政治・文化・経済はゲルマン諸国には浸透しませんでしたが、一方でキリスト教は混乱期にも布教活動を行うことで一部のゲルマン諸国にも浸透しました。

フランク王クローヴィス1世のカトリック改宗などが有名です。

ここから西ヨーロッパ世界でだんだんとカトリックが力を強めていくことになります。

 

他にも多くの国々が建国した時期であり、詳しく掘り下げればたくさんの出来事がありますがここでは長くなるのであえて触れません。

そのため、ここでも雰囲気のみお伝えしたいと思います。

 

この時期の中世ヨーロッパをモデルにお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、

・古代に1,000年以上の時間をかけて熟成して経済・文化・経済が消失した

・一方でゲルマン民族国家のキリスト教への改宗が進み、キリスト教が力を強めた

・また、ゲルマン側から見れば戦争と新天地での王国の建国の時代であった

といった世界観を構築するといいかもしれません。 

 

 

下記地図はゲルマン諸国の各場所と国名です。

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引用元:https://sekainorekisi.com/world_history/ゲルマン諸国

 

 

 

イスラーム諸国

610年頃、預言者ムハンマドが神託を受けできたのがイスラーム教です。

 

イスラーム教はペルシャ湾周辺で勢力を拡大し、預言者ムハンマドの死後その後継者(カリフ)はウマイヤ朝を建国しました。

ウマイヤ朝は西ヨーロッパへアフリカ側を侵略しながら進み、当時、現在のスペインにあった西ゴート王国へ侵攻、これを滅ぼしました。

その後フランク王国へ侵攻しましたが732年にトゥール・ポワティエ間の戦いで敗れ、ここでイスラーム教の西ヨーロッパへの侵攻は終息しました。

西ゴート王国フランク王国はこの時すでにキリスト教国だったため、西ヨーロッパにおけるキリスト教イスラーム教との初めての邂逅になります。

 

このイスラーム教の侵攻はキリスト教世界に小さくない衝撃を与えました。

これが中世盛期の十字軍遠征へと繋がっていきます。

 

イスラーム教も前項までと同じく、詳しく掘り下げれば果てがない項目ですが、ここでは中世前期で西ヨーロッパ世界に関係性の強い部分だけ説明させていただきました。

 

 

 

ローマ文化復活の兆候

イスラーム教との邂逅は、西ヨーロッパ諸国にとって良い影響ももたらしました。

当時のイスラーム教圏ではローマ帝国崩壊の時、ゲルマン民族の侵入や大きな戦争が発生せず、ローマ帝国の文化がそのまま残り発展していたのです。

そのため、イスラーム教からローマ帝国の文化をイスラーム教から間接的に吸収することができました。

 

特に農業では貴族が経営する荘園で三圃制による農園が始まり、これが1年あたりの農作物の収穫量を増やすことにつながりました。。

これらの農業制度は、ローマ帝国期にみられる制度化された農業形態に近いものであり、ローマ文化の復活の兆候の最たる例といえるでしょう。

 

 

そのため、そのため前項のイスラーム諸国からここまでに焦点を当ててお話を書くのであれば、民間レベルでの情報として、

キリスト教世界とイスラーム教という異教との邂逅

キリスト教側から見ればイスラーム教は侵略してくる外敵

イスラーム教側から見れば遅れた宗教を崇拝しているキリスト教勢力圏への布教と領土拡張のための侵攻

・戦争をしていない一般市民レベルとしての文化交流

といった世界観を構築するといいかもしれません。

 

 

 

ヴァイキングの時代

元々北ヨーロッパに住んでいたゲルマン系民族であったヴァイキングは、他民族に遅れて西ヨーロッパ世界へ侵入してきた。

ヴァイキングのヨーロッパ世界への侵入には、キリスト教との対立や富を求めた対立など諸説あるが、はっきりとした理由は不明なようだ。

 

ヴァイキングは優れた航海技術を持ち、海や河川を使い瞬く間にヨーロッパ全土へ侵入した。

ヴァイキングは交易と略奪を主に行い、地域によってはそのまま土着したようだ。

※余談ですが、幸村誠氏の漫画『ヴィンランド・サガ』がヴァイキング世界を舞台にしたお話ですので、雰囲気を捕まえたいのなら一度読んでみるといいかもしれません。


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神聖ローマ帝国の始まり

神聖ローマ帝国の始まりといっても、ここではあまり多く書くことはありません。

簡単に話してしまえば、800年に当時のドイツ周辺地域を治めていたカール大帝が、ローマ帝国崩壊後空位のままだったローマ皇帝の座を継ぎ、それを後の時代、オットー1世がローマ教皇が皇帝よりも上の立場に位置していると定めることで、西ヨーロッパ圏の最大の権力者として教皇が位置することを明確にしたのです。

 

これらは政治的な話であり、今のように民主制ではなかった当時の西ヨーロッパ世界では実際に住んでいた当時の民間人の間ではそこまで大きな影響がなかったと思います。

なので、政治的な動きをモデルにお話しを書きたいのであれば、これらの事象を掘り下げて調べてみても良いかもしれないが、街の情景や雰囲気は神聖ローマ以前と大きくは変わらないはずです。

 

 

 

おわりに

今回はかなり長くなってしまいました。

ただ、異世界を舞台にした小説を書くにあたって、その世界にも歴史があり、登場人物たちがどのような情勢の中で生きているのかを書くことは大切なことだと思います。

例えば、

もしあなたが732年トゥール・ポワティエ間の戦い真っ最中の西ヨーロッパに転生したら、周囲の人々はどのような日常生活を送っていて、あなたはどのように感じるでしょうか?

きっと異世界でも、主人公が転移転生するその時の出来事や雰囲気があるはずです。

異世界に人がいる限り、その人たちは過去を元に今の生活を送っています。

どうか簡単にでいいので、街や村、はたまた国がなぜそこにあり、住民は何を思って生きているのか考えてみていただけると幸いです。

 

※私自身が読み返してみてこの記事自体は本当にただただ現実の歴史を書いただけで、具体的に小説の参考になるか微妙だと感じました。なので、盛期や末期に関しては優先度は低くし、時間のある時にまとめられればいいかと考えていますのであしからずお願いします。

窓とヨーロッパ

 

 

なろう小説において、主人公が高級な宿屋に宿泊する場面や王侯貴族の館での場面で壮麗な装飾が施された窓の描写があるかと思います

しかし、多くの場合においてその窓の描写は正しく中世ヨーロッパ風ではない、もしくは詳細な描写がないことが多くあります

そこで今回は、ヨーロッパの窓について簡単にまとめていきたいと思います

 

 

 

 

窓がある理由

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皆さんは各家、各部屋になぜ窓があるのか考えたことはあるでしょうか?

それは壁で囲われた暗い家の中で光を確保するためなのです

 

窓のない家を想像すると少し分かりやすいかもしれません

 

電気やガスはなく、ろうそくや薪は高価な時代です

家に窓がなければ部屋の中での作業はままなりません

そのため、過去の人々にとって外から明かりを取り込むことは急務でした

特にヨーロッパのような石・レンガ造りの家が主流な世界では、外から入る光は限られる場合が多く、窓がなければ部屋の中は暗黒の世界だったでしょう

 

一般に電気が普及し、夜の暗闇の中でも灯りが確保できる現代ではあまり想像がつかない世界かもしれません

 

しかし古代から電気・ガスが普及する近現代までの人々にとって、部屋の中に外の光を取り込むことは重要なことだったのです

 

 

中世ヨーロッパのガラス窓

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中世ヨーロッパの窓は、今の価値観からみると窓というにはあまりにお粗末なものがほとんどでした

それは中世ヨーロッパにおいて『ガラス窓』というものがほとんど存在しなかった事に起因しています

 

ガラス窓というものは古代ローマの時代には高価ですが存在していました

古くは西暦79年に火山の噴火で壊滅したといわれる古代ローマの都市ポンペイの公衆浴場にはガラス窓があったといわれており、また、3世紀ごろになるとローマ全域の公共施設や一部の富豪の家に窓ガラスの痕跡がみつかっています

 

そのため、中世にも一部の教会などではガラス窓があったといわれていますが、ほとんどの場合、例え王族の宮殿であってもそのようなガラス窓は採用されませんでした

 

その大きな理由としては、中世ヨーロッパ世界は後期に入るまでの長期間に渡って各地で戦乱の状態が続いていたからです

 

一見、戦争と窓は無関係に思えるかもしれません

しかし、窓と戦争には大きな関係があります

前項で説明した通り、窓は明かりを取り込むためにありますが、一方で大きな窓というものは外敵の侵入経路になってしまうのです

 

そのため、貴族の城はガラスを使用した窓などはつけたくともつけることができなかったのです

貴族の城にある窓といえば、敵の侵入を妨害するための攻撃用の窓か様子を伺うための小さなのぞき窓くらいだったでしょう

 

また、戦争には貴族の他に傭兵も多く参加していました

そういった傭兵は戦争が終わり仕事がなくなると、野盗や野武士と呼ばれ、略奪や盗人で生計を立てていました

そのため全体的に治安はとても悪く、お金のある教会や一部の富豪もせっかく買った高価な窓ガラスを割って侵入されては堪らない為、窓にガラスを使うことを控える場合がほとんどでした

 

このような状況から、ガラス自体の需要が大きく減り、生産そのものが内部に工房を持つ一部の教会などでしか行われない状況になってしまいました。古代で発展したガラス製造技術の多くがこの時代に失われてしまったのです

 

そのため、例え地域として戦争が終息し状態が安定していた場合であっても、ガラスの生産はほとんど存在せず、買い求めることは困難でした

 

つまり、なろうの小説における王侯貴族の城や高級宿のガラス窓の描写は多くの場合、前期の中世ヨーロッパ的ではない、ということができます

 

 

中世ヨーロッパの窓からの明かり

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では、中世ヨーロッパにはどのような窓があったのでしょうか

 

まず最初に農村部の家の窓から紹介したいと思います

中世後期以前の農村部は基本的に自給自足で、貴族への納税も収穫した作物から物品で納税だったため貨幣の流通は極少量でした

そのため、窓ガラスはもちろんガラスの代用になる物を購入するすべはなく、比較的裕福な地域の農村でも窓には雨露をしのぐための木製の鎧戸のみ、もしくは窓すらない家も多々存在しました

農村部の人々にとって家は、あくまで雨露や寒さをしのぐ為のシェルターとしての役割が主だったのです

 

一方で都市部の貴族・都市貴族を含む裕福な家などでは、窓にはガラスの代用品が用いられることもありました

ガラスの代用品となった物の種類は多様で蝋を薄く引いた亜麻布や油にひたした羊皮紙、引き伸ばした牛の胆のうや膀胱など、光を通す多くの物がガラスの代用品として用いられていました(日本の障子紙などをイメージするとわかりやすいかもしれません)

 

ただし、このような代用品が用いられていたのは都市部の家の中でも極一部であり、一般の家ではやはり窓がない家が多く存在していたようです

 

つまり、真に中世ヨーロッパ風な窓の描写をするのなら、『一般的には窓が全くない、もしくは光を完全に遮ってしまう鎧戸のみであり、また一部の裕福な家では窓枠に雨や風が入らないよう加工した布や紙、動物の皮などが利用されていた』ということになります

 

 

中世後期の窓

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中世も終盤に差し掛かるとやっと各地で長く続いた戦争の時代が終わりの兆しが見え、ガラスの需要が増えるとともに一度失われた製造技術が再び広まり始めることで、だんだんとガラス窓も増えていきました

各地で時期に差はあるかと思いますが、13世紀にはイタリアのヴェネツィアでガラスの製造が始まっていたといいますからその前後からだんだんとガラスが普及し始めた、と考えて良いと思います

 

ただし、この頃はまだ庶民が簡単に購入できるほどガラス窓は安価ではなかったため、庶民は瓶を砕いてガラス片を繋ぎ合わせたり、瓶をそのまま利用して外の光を取り入れる事が多かったようです

 

また、ガラスの生成方法が未成熟であり、この頃のガラスは純度が低く完全な透明にはならなかったため、あえて色を付けて窓にはめ込むようになったのが、教会などにみられるステンドグラスの始まりでした

 

中世ヨーロッパ風の舞台をイメージして作品を書いている作者様方の多くはこの時代をイメージしているのかもしれませんが、それにしては窓ガラスは高価である、という部分には触れていても、他のガラス製品について記述のある作品は少ないように感じています

窓ガラスよりも小さく生成も簡単な瓶などの方が、数多く安価で流通していたのは間違いなく、庶民はそれらのガラス製品を上手く利用して屋内に光を取り込んでいました

もしこの時代を元に世界観を作るのであればそれらの点に触れるとより世界観に深みが出るのではないかと思います

 

 

おわりに

いろいろと書きましたが、小説はあくまでフィクションですので、物語にガラス窓があることを私は否定しません

私はただ、現実の窓にも歴史があるということを知って欲しいのです

もし小説の筆者様方の世界に窓があるのならそこにはどんな歴史があるのでしょう

窓という小さなところからでも、筆者様方の世界の構築に役立てればと思います

 

ポケモンが楽しくて前回の投稿から期間がだいぶ空いてしまいました。継続して文章を書き続けられる方々には感服する限りです。これからも遅筆ながら記事を書き続けていきたいと思いますのでよろしくお願いします

 

ヨーロッパのお城と王様の住居

 

今回は中世ヨーロッパのお城と王侯貴族の住居についてまとめていきたいと思います。

 

 

 

 

 

王様が住むところ

日本で西洋の王様が住むところといえば、まずイメージされるのがノイシュバンシュタイン城のようなもの(いわゆるシンデレラ城)だと思います。

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引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ノイシュヴァンシュタイン城

 

これはディズニー映画の影響も大きく、『シンデレラ』や『眠れる森の美女』、近年では『アナと雪の女王』など人気作品で王族が住居にしていることが多いからだと思われます。

実際に西洋文化に触れられる機会の少ない日本では仕方ないのかもしれません。

しかし、上記画像のノイシュヴァンシュタイン城は建設開始が1869年、シンデレラ(ディズニー)の放映は1950年、と、このような外見的に優美な城は多くの場合、近現代に姿を現しました。

そこで今回は、本当は中世王侯貴族はどのような場所で生活していたのか?ということに焦点を当てていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 中世の城

中世ヨーロッパにおいて城とは防衛施設でした。

そのほとんどが丘陵や河川などに沿って作られ外敵の侵入を防いでいました。

その構造は時期や地域によって様々でしたが、一般的な石造りの城は同一のパーツによって構成されていました。

 

一般的な城のパーツは以下の通りです。

 

城の基本的パーツ

  1. 塔………見張り台、捕虜の収容、食料(穀物)の保管庫
  2. 館………城の主人や使用人の住居、城の本体
  3. 城壁……侵入者を拒むための壁
  4. 門塔……門番の詰め所
  5. 堀………水の張られたものもあったが城により様々
  6. 跳ね橋…城への外からの唯一の通路。跳ね橋を上げてしまえば進入路はなくなる

 

 

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引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴァンセンヌ城

 

上の写真は百年戦争の最中の14世紀から15世紀フランスに建設されたヴァンセンヌ城です。

フランス王の城のため、かなり大規模な城ですが本城を城壁が囲む典型的な城と言えるでしょう。

何度も補修が重ねられ、現在も観光することができます。

 

騎士や中小貴族はこのような城の館を基本的な拠点とし生活していました。

貴族の生活は、肉や魚の塩漬けが食卓に並んだり、年に数回体を湯で洗うなど、当時の基準では城壁の外に住む農民などに比べて裕福な生活(中世ヨーロッパの庶民の生活については別ページにまとめたいと思います)をしていました。

しかし、それはあくまでも当時の基準の話であり、トコジラミの沸くベッドや掘りへ垂れ流しになっていた糞尿など、現代の基準でみるとあまり良い環境とは言えませんでした。

また、フランス王や大領を治める領主などになると、このような城や次項の城塞都市など複数持ち、戦場にあわせて生涯を通してそれらの拠点を移動していました。

そのため、大きな領地を持つ王侯貴族は近代に入るまで1つの土地に長期間定住することはほとんどありませんでした

 

 

 

 

城塞都市 

古代から中世にかけてヨーロッパではローマ帝国末期の争いやヴァイキングの略奪、中世中期から後期にかけては諸国の戦争から諸都市を守るためにその周辺に城壁と堀が作られました。

基本的な城塞都市を構成するパーツは城と同様でした。

 

城塞都市の基本パーツ

  1. 城壁……都市の規模に合わせ2重になっている場合もあった
  2. 門塔
  3. 跳ね橋 

 

 

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引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/カルカソンヌ

 

 写真はフランス南部にある城塞都市カルカソンヌです。

カルカソンヌは時期により様々な領主の統治下におかれた城塞都市で、2重の城壁で守られており、また領主の城も都市の一部に組み込まれています。

 

 

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上記画像はカルカソンヌとは別の城塞都市ですが、領主の治める城塞都市はこのように領主の住む城と城塞都市が一体となっていた場合が多かったようです。

領主や騎士、その使用人は城に住み、街の中には職人や商人が住んでいました。

 

一方で領主の支配下にない城塞都市もありました。

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引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/モン・サン=ミシェル

 その一つがモン・サン=ミシェルです。

モン・サン=ミシェルはフランス西海岸の小島にそびえる修道院で都市と呼ぶには小規模ですが島内には民家もあり、海は天然の城壁を形成しています。

実際に百年戦争の際にはその海を盾にイングランド軍の猛攻を凌ぎました。

このような領主ではなく修道会や教会が直接治める都市も中世には存在し、そのような都市には領主の城はない場合もありました。

 

要塞都市としてはモン・サン=ミシェルは少し特殊な事例になってしまいますが、その知名度から例として挙げさせていただきました。

 

 また、ミラノやフランドルなど自治権を持つ自由都市もありましたが、そういった自由都市では領主が支配した過去があり、城塞都市に城がある場合が多いです。

下の写真はミラノにあるスフェルツェスコ城です。

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引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/スフェルツェスコ城

 

 

おわりに

中世ヨーロッパのお城と王侯貴族の住居についてまとめみました。

王様の住居は確かに城でした。

しかし、それは近現代に建設された絢爛豪華な城ではなく、外敵からの防衛を目的とした防衛施設としての城であり、そこでの生活も当時の価値観では十分に裕福なものでしたが現代の価値観では貧しいものでした。

また、大領を治める領主はその所領に複数の城や城塞都市を持ち、防衛のため生涯を通して移動し定住することはありませんでした。

以上です。説明不足や間違いなどあればコメントに残していただけると幸いです。

なろうと中世ヨーロッパについて

はじめまして

 

 

突然ではありますが、皆さんは中世ヨーロッパと聞いてどのような世界を思い浮かべるでしょうか?

 

 

  • 街をぐるっと囲む城壁
  • レンガ造りの家々
  • 商業区や貴族区に区分けされた居住区
  • シンデレラ城のような王侯貴族が住む城

 

 

多くの人は上記のようなぼんやりしたイメージを持っているだけで、鮮明な中世ヨーロッパのビジョンを持ってはいないかと思います

 

しかし、これらのイメージは繊細な情景描写をするには全く情報が足りていません

 

 

昨今、小説家・作家を目指すうえで日本最大級の小説投稿サイト小説家になろう(以下、なろう)ではその中世ヨーロッパ的世界観が舞台の話が主流です

 

なろうに投稿されている小説の中には上記のようなイメージで書かれ投稿されている作品も多くあり、私の所感ではありますが中世ヨーロッパ風と作中に書きながらも「どこが中世ヨーロッパ?」と思わざる負えない作品も多数存在します

 

もちろん、舞台は中世ヨーロッパそのものではないのでオリジナルな設定があるのはわかりますが、それにしても全体として中世ヨーロッパに対する知識が足りていないなと感じています

 

 

そこで、当ブログでは主に小説家になろうで中世ヨーロッパ的世界観の作品を書いている・書きたいと思っている著者様、また、なろう作品をよく読む読者様に向けて、作品の参考になるような情報を発信しようと思い開設しました

 

書籍等を参考に記事を更新していこうと思いますので、よろしくお願いします